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田中 省吾(たなか しょうご、1896年(明治29年)1月31日〔『新編日本の歴代知事』1003頁。〕 - 1967年(昭和42年)10月9日〔『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』769頁。〕)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事。 ==経歴== 岐阜県出身。田中梅之助の長男として生まれる〔。東京高等師範学校を卒業。1923年12月、文官高等試験行政科試験に合格。1924年、京都帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し土木局属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』241頁。〕。 以後、長野県警察部特別高等警察課長、同警務課長、大阪府警察部特別高等警察課長、内務事務官(欧州駐在)、千葉県書記官・警察部長、愛知県書記官・警察部長、内務省土木局道路課長、同河川課長などを歴任〔。 1942年5月、佐賀県知事に就任。戦時体制の整備に尽力。1944年8月、農商省生活物資局長に転じた〔。農林省食品局長を経て、1945年10月に香川県知事兼四国地方行政事務局長に就任し、戦後の復興に尽力。1946年1月に知事を退任〔『新編日本の歴代知事』907頁。〕。公職追放となり退官した〔。 その後、横浜市助役、横浜商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭、横浜貿易促進会会長、横浜銀行取締役、鶴見振興 (株) 社長などを務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中省吾 (内務官僚)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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